瓶の中 短編私小説へ戻る
全てがゆがんで見えます。
しかし何が見えているのかは、良く分かります。
大きいものがいっぱい見えます。
いいえ。大きいものではなく、小さいものが大きく、大きいものはもっと大きく見えている、と言った方が的を得ているでしょう。
周りに立ちこめる異臭は、アルコールです。
エチルアルコール。
私が嫌いな臭いではありません。
でも今は嫌いです。
良く洗っておけばよかった。
ここにいるのは今日で二日目です。
ここと言うのは<瓶の中>ということです。
瓶の中と言っても、人間が入れるような大きな瓶の中というわけではありません。
サントリー角瓶、略してカクサンの中に私がいるのです。
カクサンの瓶は超特大、というわけではなくごく普通サイズのやつです。
私が小さくなって瓶に入ってしまったのです。
不思議なことは何もありません。
入るべくして入ってしまったのですから。
今、目の前にある一冊の古びた本にその方法が記してあったのです。
目の前といっても、瓶の外なのですが。
それを手にいれたのが四日前のことでした。
おもしろい本があるからと、夜遅く友人から電話がありました。
その友人は、滅多におもしろいなどという言葉は使わないような、偏屈な人間なので、つい興味をそそられ、すぐに出向くことになってしまいました。
彼のアパートは私のアパートから自転車で十五分。
ノックをしても返事がありません。
鍵は掛かっていませんでした。
おーい。
呼んでみましたが、六畳一間なので居ないのは見れば分かりました。
おーい、いないのか。
と言いながら中にはいると、小さなテーブルの上に、山盛りの灰皿、コーラの瓶、何やら暗号のような殴り書きのしてあるノート、そしていかにも何かありそうな古びた本が置いてありました。
横二〇センチ、縦三〇センチ程の分厚い本です。
おもしろい本というのは、この古びた本以外にはありません。
友人が帰ってくるまで待っていようと思いましたが、人を呼びつけておいて居ないのが悪いわけで、私は本を持って帰りました。
ひび割れた皮表紙のその本には、タイトルがありませんでした。
暗い部屋に白熱球のスタンドの明かりだけで見るその本は、とても趣のあるものでした。
何となくかび臭いその表紙をめくると、中はびっしりと横文字でした。
分かる単語もちらほらあるので、英語であることには間違いないようでした。
ページをめくるとその裏は白紙でした。
どのページも同じでした。
どうやらタイプで打った物を揃えて、にかわで裏表紙にくっつけたような手作りの本のようでした。
何にせよ英語では読めないので、その日はそのまま寝てしまいました。
次の日友人から電話があるかと思いましたが、ありませんでした。
夜こちらから電話をしましたが、出ませんでした。
また次の日も電話をしてみましたが、出ないので行ってみることにしました。
彼は居らず、部屋は二日前のままでした。
変わった人間なのでまた旅にでも出たかと、心配はしませんでした。
帰ってくるまでに少しくらいはあの本を読んでおかねばと思い、辞書を開くことにしました。
1ページ目の題名は、<瓶の中に入る方法>でした。
ハウトゥー物のようです。
内容は結構難しく、私の辞書では役不足でした。
旅に出た友人のような英語力を持ち合わせていない私は、大枚払って英和大辞典を購入しなければなりませんでした。
しかし私にとって1ページ目の題名は、大枚払っても気にならないほど興味をそそられました。
一気に訳し終わりました。
そのまま2ページ目も訳してしまえば良かったのですが、1ページ目を訳し終わったとたんに、それを実践しなければ気がすまない衝動に駆られました。
まずは、道具を用意しなければなりません。
薬草はここらにはないので、漢方薬で代用する事にしました。
長江の土の代わりに付近の河原で土を掘ってきました。
湖の氷の代わりに冷蔵庫の氷。
その他数点を何とか揃えるのに一日かかりました。
それらをある一定の割合で混ぜ合わせ、焼け石の上で煎ります。
焼け石に使う石は何でもよいのですが、火は自然の物でなければなりません。
落雷や噴火を待つわけにもいかないので、レンズを使うことにしました。
木屑に熾した火を少しずつ大きくしてゆき、その中で石を焼きました。
石を焼いている途中に伽羅の香木を投げ込まなければならないのですが、ないので線香を入れました。
充分焼けた石の上でじゅうじゅうと材料を煎っていると、暫くして紫色の粘りけのある煙が出てきました。
本に書いてあるとおりです。
それをビニールのゴミ袋に採り集め、あらかじめはっておいた風呂の水の中に溶かします。
風呂の水はみるみる紫色に変わりました。
裸になり爪先からそおっと身を沈めました。
不思議に冷たくはありませんでした。
肩までつかると、次に両手で紫の水をすくって三度飲み干しました。
味はありませんでした。
鼻歌などを歌いながら一時間。
身体をよく拭いてあがると、注意書きにあったように風呂に塩を入れよくかき混ぜてから流しました。
紫の水は塩を入れた瞬間に透明になりました。
さて、これからが本番です。
用意しておいたカクサンの瓶に、火を入れなければなりません。
マッチや蝋燭では瓶の中が臭くなるので、よく乾いた木に火をつけて入れることにしました。
木は瓶の中で勢いよく燃えました。
熱いのを我慢して人差し指で蓋をします。
裸のままでこうした作業をしている姿は、理由を知らない人が見たらさぞや滑稽に見えるでしょう。
瓶の中の酸素が減るにつれて火の勢いも弱まってきます。
そして瓶の中の火が消えた瞬間、私は人差し指から瓶の中に吸い込まれました。
だから私は今、<瓶の中>に居るのです。
おなかが空いたのを除けば、ここはそれほど悪いところではありません。
かえって外の世界の方が窮屈かも知れません。
ただ少し困ったことがあるのです。
瓶に入った私は人間の形をしていないのです。
見えるしかげるし息も吸えるのですが、喋れないし歩けないし掻くこともできないのです。
瓶の口の直径と同じ大きさの、長さ一〇センチ程の肉の棒のようなものになってしまったようなのです。
やはり代用品を使ったせいでしょうか。
きちんと、書いてある通りに方法を行っていれば、人間の格好のままで瓶に入れた筈です。
思うに、西遊記に出てくる瓢箪は、案外これだったのかも知れません。
何故英語で書かれているのかは分かりませんが、本に書いてある道具等は明らかに中国の物のようなのです。
誰か来たようです。
私の名を呼びながら部屋に入ってきました。
実は一昨日、電話で友人を呼んでおいたのです。
旅に出た友人とも旧知の仲なので、あの本を見せても構わないだろうと思い、すぐに来いと呼びつけたのですが、ここ一日二日はどうしても仕事の都合で無理だということだったのです。
それが今日来たわけです。
側に近づいてきました。
すごいだろ、俺はいま瓶の中に居るんだぞ。
叫びたかったのですが、肉の棒は声が出せないのです。
友人は本を手に取ると、
かりるよ
と言って持って行ってしまいました。
あの本の二ページ目に瓶の中から出る方法が書いてあれば、彼はきっと気がついて私をここから出してくれる筈です。
但し、あくまでもその方法が書いてあれば、の話ですが。
あっ。
そういえば、いま、大事なことを思い出してしまいました。
旅にでたと思っていた友人の家のテーブルの上には、確かコーラの瓶が・・・・・。
おしまい
一九九二年三月二八日